山行報告>奥穂高、懐かしの山旅ふたたび

2025/9/23~25


【日 程】  令和7年9月23日~25日
【山名・標高】奥穂高岳3,190m
【天 候】  1日目曇り、2日目晴れ、3日目小雨
【メンバー】 福福

前回、涸沢から奥穂高岳に登ったのはいつだったか……と記録をめくってみたら、それは1982年10月のこと。涸沢の見事な紅葉に感激しながら、北穂から奥穂を回るという贅沢なルート。ヒュッテに2泊して、ゆったり楽しんでいたようだ。

同じ年の7月にも、北穂~奥穂~前穂という縦走を計画していたが、無情の風雨に阻まれ、泣く泣く涸沢に2泊しただけで下山。90年の10月にも紅葉を狙ったものの、タイミングが遅くてしかも雨。結局、登頂はあきらめて引き返している。

「そのあともう一回行ったでしょ?」とカミさんは言うが、記録にも記憶にも残っておらず、真偽は不明。

そんなわけで、今回の奥穂再訪は、実に久しぶり。
上高地へ向かう途中の沢渡あたりから、あまりの変わりように懐かしいというより唖然とした。小梨平も徳沢も観光地化が進み、建物が増えてすっかり様変わり。梓川沿いには工事用の道路が整備され、救急車が横尾まで入っていたのには驚いた。横尾には登山ゲートまでできていて、登山前のチェック体制も整っていた。

ただ、横尾から先は昔のまま……とまではいかないが、大きな変化は少なかった。本谷橋が吊り橋に変わっていたのが、唯一目立つ違いかもしれない。

1日目は、上高地から涸沢小屋まで。天気は終日どんよりとした曇り空。小屋は一応満室の予約が入っていたようだが、紅葉にはまだ少し早く、テント場はかなり空いていた。

ところが翌朝、打って変わっての快晴!
計画より少し遅れて出発し、カールを横断してザイテングラートへ。急登の尾根を登り詰めて穂高岳山荘に到着。テラスでひと息ついてから、いよいよ奥穂高へ。

ここから先は岩場。鎖やハシゴが設置されているところを慎重に越えると、岩屑の道になり、そこから見た笠ヶ岳の雄姿が圧巻。ジャンダルムには人影がちらほら。そうして無事、方位盤のある奥穂高山頂へ!

隣の石積みの上には、いつの間にか新しい石の社が建っていた。「こんなのあったっけ?」と思いつつ、そっちにも登っておく。

山頂からの景色は、まさに息をのむ美しさ。
今年登った薬師岳、黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳もすべて見渡せ、記憶が一気に蘇る。

下りは同じ道を引き返し、涸沢小屋で昼食。当初の計画では穂高岳山荘か涸沢小屋でもう1泊するつもりだったが、天気予報(ヤマテン)で翌日は霧雨〜雨とのこと。ということで、この日の内に横尾山荘まで下山することに計画を変更していた。

ところが出発が遅れ、涸沢小屋を出たのが13:48。
「まぁ、17時までには着けるだろう」と思っていたのだが、下るにつれてカミさんの足がだんだん重くなり、スピードは超スローペースに。

本谷橋を過ぎたところで小屋に電話(auが通じた)し、「17:30頃に着きます」と伝達。結局、17:38に到着し遅れを小屋の主人に詫びたが、「陽のあるうちに着けて良かったですね」と笑顔で迎えられ、ホッと一安心。

ちなみに、横尾山荘に泊まるのは初めてだったが、ここには風呂があり 独り占めの湯船で思い切り手足を伸ばす事ができた。

最終日は、予報通り朝から小雨。ときおりザッと強まる場面もあったが、前日に下りておいて本当に正解だったと思えた。こんな天気でも登ってくる登山者は多く、レインウェア(セパレート型)をちゃんと着ている人もいれば、上だけの人も多く、あるいは何も着てない人もちらほら。特にテン泊では濡れると乾かないのにと余計な心配をする。

ちなみに、上高地〜横尾の区間で最適な雨具は「傘」だと思う。
これ一本で蒸れずに快適に歩けるのに、意外と差している人は少ない。我が家は今回も傘で快適な「散歩登山」。河童橋では、見えない穂高をバックに記念写真を撮って、今回の山行を締めくくった。

今回の反省点(というより課題)は、やっぱりカミさんの体力。
今から鍛えるというのもなかなか現実的ではないので、今後はもっと短時間で無理のない山行を計画する必要がありそう。ゆっくり、楽しみながら行ける山を選ぶしかないな。



 
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