| 【日 程】 令和8年2月23日 【山名・標高】槇寄山1,288.3m 【天 候】 晴れ 【メンバー】 ふく 目立ったピークを持たず、眺めもなく稜線には林道が走っている鹿倉山は奥多摩でも人気のない山だと私は思っていた。ただ、丹波山村と小菅村の境界にあって、どちらに下っても温泉が楽しめるのは良い。 先週に続いて半ば温泉目当てで計画を立ててみた。 出かけた日は5月上旬の陽気になるという予報で、季節外れの暖かさはこれまた先週と同じだったが、深山橋バス停で降りて橋から見る奥多摩湖の水位低下には驚かされた。橋下にはかろうじて水はあるが、上流部はほぼ湖底が露出している。日々多摩川の水で生活している身としてはこの先どうなるかと心配な光景だった。 橋を渡って蕎麦屋の裏手から湖岸の道を進めば直ぐに登り口に着く。ここで前日三頭山の避難小屋に泊まってこれから鹿倉山に登るという男性と会った。こんな山に登るのは私一人位と思っていたのでちょっと驚いたが、挨拶を交わしてから先に出発する。登り出しはえらく急でかなり前傾しないとずり落ちそうだ。ただ踏み跡ははっきりしていて途中で道が分からなくなるということはなかった。それなのに目印と思われる梱包用の透明テープがやたらと立木に結びつけてあるのがちょっと目障りだった。 暑さに負けて衣服調節している隙に登り口で会った男性に抜かれ、直ぐに姿も見えなくなった。その場から10分ほどで大寺山山頂に着くと、巨大な仏舎利塔に出迎えられた。以前御前山に登った時、サス沢山の展望台からこの仏舎利塔を遠望したが、現地で見ると想像以上の大きさだった。誰が何の為にここに建てたのかというのがまず気になるところだが、傍らの解説板でそれは理解できた。 建てたのは「日本山妙法寺」という日蓮宗系の新興宗教団体で、この団体は反戦、反核を唱えて、国内のみならず海外にも仏舎利塔を建立している。ここにある「東京奥多摩仏舎利塔」は昭和49年にこの地に完成しているが、眼下の奥多摩湖は東京都民一千万人の水源地であり、仏舎利塔のお釈迦様の慈悲がこの水源地にしみ入り、東京都民の命を養い、心の糧となって世界平和実現を祈念する。という趣旨のことが書かれてあった。 なるほどとは思ったが、忽然と山中に現れる高さ36mの巨大仏舎利塔は、異世界感がありすぎる。山中よりは町中にあったほうがまだ違和感がなさそうと感じた事だった。 この先、稜線の道は緩やかになって少しずつ標高を上げていく。途中に鴨沢への分岐標識があったが、ほとんど通られてない道のようだ。南側は植林、北側は雑木林という道で眺望はほとんど無く、わずかに開けた部分から石尾根の六ッ石山方面が見えた。しばらくすると道は林道と並行して進むようになり、やがて一本になる。前方に女性2人組の姿が見え隠れするようになり、やっと追い付いた鹿倉山山頂で記念の写真を撮ってもらう。 山頂からの眺望がないのは事前情報通りなので食事をとるという彼女達より先に出発する。この先ショートカットの登山道はあるものの、概ねは植林内の林道歩きとなり大丹波峠に着いた。広い峠だが腰を下ろすベンチなどはなく、標識の根元に座って昼食にする。 ここから北に下れば大丹波温泉へ、南に向かうと小菅の湯に出られて、どちらも時間的には大差ない。今回は大丹波へ向かう計画で、出発しようと立ち上がった所に、先に行ってるとばかり思っていた件の男性が追い付いてきた。聞いてみると彼氏も同様に大丹波に向かうようだ。この道は水害により通行不可とされていたが、現在は通行止めの表示はないので安心して進んだが、この道は悪かった。 特に標高690mからはトラロープを頼りに崩れやすい足元に緊張しながらトラバースする箇所があり、まともな登山道ではない。追い付いてきた彼氏がさっさと引き返して、ほとんど水のない沢身通しに下って行ったが、それが正解だったようだ。堰堤上部に出て何とか危険箇所を終えやれやれ。その先でマリコ橋を渡った後は道路歩きで「道の駅たばやま」まで。計画よりは大分早く着いたので「のめこい湯」に浸かった後は、休憩所で地酒を楽しむ余裕もあった。奥多摩駅への帰りのバスでは例の男性と又一緒になったので、最初から最後までほぼ同じペースで行動していた事になる。 今回の鹿倉山では山中で2組の登山者に出会ったので、全く不人気というのは私の思い込みかもしれないが、また登りたいという魅力はやはり感じなかった。たとえ温泉が目当ての山であっても、山自体に登る楽しさや良さが感じられなければあえて登る意味はない。眺望も得られず、頂上部分にまで林道を通されてしまった鹿倉山は不運な山である。
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鹿倉山 / ふくさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ