山行報告>お手軽ハイキング、笹尾根(田和峠)越え

2024/3 /17

【 日 程 】 令和6年3月17日
【山名・標高】 田和峠1,138m、数馬峠1,105m
【 天 候 】 晴れ後曇り
【 メンバー 】 福福

笹尾根は三頭山から高尾山に至る(狭義では槇寄山から浅間峠)山梨県・神奈川県と東京都の境界をなす尾根であり、奥多摩山域の主要な構成要素の一つである。
特徴は峠越えの道を多く持つ事で、尾根の南側の鶴川(相模川)沿いの集落から笹尾根を超えて北側の秋川沿い集落へ、或いはその逆方向に人や馬が生活物資を運んでいた道が多くある。今では生活道路としての役割を終え、我々のようなハイカーの訪れを待つのみとなってしまったが、合理的に考えて付けられた道は歩きやすい道が多い。

今回我々が訪れた田和からの道もそんな一つで、昔の田和集落の人達がここから田和尾根を登って田和峠に至り、稜線伝いに数馬峠に進んでから数馬に下って、更には五日市方面へ向かったであろう道だ。当時の様子に想像を巡らしながら、田和バス停で下りた我々が集落内の道路を登って行くと、地図に表示された位置にはきちんと標識が整備されていた。もちろんバス停位置にも標識があって、このあたりは登山者に親切だ。

庭先にマンサクの花が咲く民家の奥にも分かり易い標識があり、それに従って谷間の山腹から尾根に取り付く。尾根を北上するコースなので南東方向から日が入り葉を落とした林の中は明るい。一旦、尾根を外した山腹の道になり、その途中にまだ使えそうな窯跡があった。窯跡というのは大体天井部分が崩落しているのだが、ここのはそれが残っていた。別の尾根に乗った所に隣の集落である扁盃(へはい)への道を示す標識があった。この位置で二つの集落からの道が合流し、尾根道は一本になって田和峠に向かうようになる。

標高1,000mを超えた辺りで落ち葉の為に道形が判然としない部分があるが、尾根を外さないようすれば大丈夫だ。やがて笹尾根にたどり着いた所が田和峠で、昔の人達もここまで来れば後は下りだとほっとしたことだろう。登り始めは晴れていて、気温も20度を超すという予報が出ていたので薄着でここまで登ってきたのだが、峠の手前からは曇り空になり風も冷たく感じるようになってきた。

その為、休まず先に進むことにする事にしたのだが、ここから先は一転して雪道になっていた。というのも笹尾根上のコースが稜線の北側に付けられているからで、残雪が溶け切らずに残っていたのだ。場所によっては消えているところもあったが、数馬峠までは概ね雪の上を歩いた。その数馬峠では以前は峠から富士山を見た記憶があるのだが、今回は曇り空で全く展望はない。そんな事でここでも休憩は早めに切り上げて数馬に向かって緩い尾根道を下り始めた。しばらくは雪を踏みしめながら歩いていたが、徐々に雪の量も減ってきてやがて登山道から雪は消えた。

948pの分岐は直進して仲の平方面に向かって下っていくと、左手の斜面が広く伐採されている所に出る。そこに「数馬の湯近道」と書かれた標識があって真っ直ぐ下りていく仲の平方面とは分かれて右手に入る道を示していた。目的地はその数馬の湯なので迷わずその近道に入ると、山道が続いてやがて数馬の湯の建物裏手に降り立つことができた。

数馬の湯到着は13時前で、予定していた仲の平からバス道路を歩いてくるよりは確かに早く着いたようだ。この後、温泉入浴に食事と続くわけだが、今回の計画は数馬の湯で「舞茸丼」を食べるというのが大きな動機になっていた。以前食べた記憶がとても良かったからだが、昼食をここでとる為に軽めのハイキングコースを歩いて来たわけだ。もっとも飲み食いが過ぎて肝心の舞茸丼はカミさんのおこぼれで間に合わせるという結果になったが、それでもやっぱり舞茸丼は美味かった。この目的を達成できた事で今回のピークを一つも踏まないハイキングであっても十分満足したのだった。

 
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