【日 程】平成23年2月6日 【山 名】行市山 【標 高】659.7m 【天 候】曇り 【メンバー 】Y井、I田、福福 【地 図】※デジタル地図の該当部分を切り出したもの 【タイム】 今市バス停9:35−−−9:57行市山登り口10:00−−−10:58中谷山11:00−−−10:42別所山10:55−−−13:05行市山13:10−−−13:16休憩場所14:07−−−14:44別所山14:52−−−15:20中谷山15:30−−−16:04行市山登り口16:06−−−16:28今市バス停 |
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滋賀の山へ行くことが多くなった。交通の便の良いことや登りやすい低山が多いという事の他に、史跡などに恵まれているのが魅力的だからだ。今回出掛けた行市山も琵琶湖の北にある山で昨年12月に登った賤ヶ岳の北6kmに位置している。賎ヶ岳の合戦の折にはこの山に陣を築いていた佐久間盛政(柴田勝家の甥)が大岩山の中川清秀を打ち破り緒戦を飾ったが、その後、秀吉軍の反撃に遭い壊滅。柴田勝家は越前に敗走した。この山の尾根上には今でも勝家軍の砦跡が多く残っているそうだ。 木ノ本駅前からコミュニティバスに乗り20分程で今市のバス停に着く。バス停からはこれから向かう行市山の山頂が望まれる。国道を背にして橋を渡り、新堂の集落に入ると「毛受の森」の看板がある。その矢印に従って右手に折れると直ぐに雪の壁があるので除雪はここ止まりと言うことのようだ。雪の壁を越えるとツボ足では潜るようになったので早速ワカンを装着する。今日の参加者の内、私とカミさんはワカンだがY井さん、I田さんはスノーシューと装備が違う。雪上歩行にどれくらい差があるのか、まずはスノーシュー組に先行して貰い様子を見る。 田んぼの脇を進むと古いスノーシューの踏み跡が残っている。ここしばらく雪は降っていないのでおそらく先週に歩いたものと思われる。雪は比較的締まっていて歩きやすい。 登り口の近くに勝家の身代わりになって討ち死にした毛受兄弟の墓がある。墓石が30cm程雪の上に頭を出しているので、この辺りで概ね1mの積雪と判断できる。 獣除けの柵を跨いで登山道に入ると始めは植林だが直ぐに自然林に変わる。地元の小学生が付けたという山頂までの距離標識を励みにして登るが、木の枝が結構うるさい。それを避けようとして木の幹の間にずぼっと潜り込んでしまったY井さんはスコップを使って何とか脱出した。途中にある中谷山は砦のあった場所で南側が開けているので秀吉軍の動きが良く分かったに違いない。まだ先が長いので休憩は諦めてここからは私が先行する。 気持ちの良い尾根を進み林道をかすめてからまた植林の中をいくと、今度はカーブミラーのある林道に出るのでそこを横切った所で先頭をカミさんに代わった。しばらく登ると別所山山頂で、前田利家が砦を築いた場所だ。利家は柴田軍として布陣したが戦いには加わらず撤兵してしまい、それが戦いの勝敗を決定づけたと言われている。今は砦の代わりに小さなスノーテーブルが残されていて、休憩には絶好の場所に思えるが残念ながらここでもそうのんびりは出来ない。 曇り空ながら青空も見られて風弱く気温は高いというお天気で、雪の方も緩んで潜るようになり疲れる。先頭を交代しながら何とか予定の時間内での山頂到着を目指して進む。山頂が近づくと平坦になったが一歩一歩がズボッ、ズボッという感じで気ばかり焦ってなかなか到着しない。ようやく辿り着いた山頂は雪に埋もれているのか標識も何もなかったが、東側が開けていて眺めは良い。 風を避けて山頂より少し下ったところで昼食にした。ツエルトを被らなくてもすごせたのでやはり暖かな日だ。 下りは順調で行きに素通りした中谷山で休憩も取れた。今市のバス停にも計画書通りの時間に到着して今回のスノーハイキングは無事終了した。兎にも角にも全てお天気が良かったおかげで、予定したとおりの山歩きが出来て満足だ。 ところでワカンとスノーシューの性能についてだが、沈下量、歩行のしやすさについて明確な差があるように思えなかった。湿雪の締まり加減の雪では道具による違いは余り出ないのかもしれない。これが軽い新雪だとどうなのか? いつか機会があればそんな比較もしてみたい。/福西 |
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GPSで記録した登山ルートの地図画像が見られます(画像ファイルは100KB前後です) |