山行報告>小秀山へ追悼登山

2013/6/2

 

【日 程】平成25年6月2日
【山 名】小秀山
【標 高】1,981.7m
【天 候】曇り
【メンバー 】I田、T田、J久、Y田、Y井、N田、T橋、福福
【タイム】
 白巣峠登山口9:10---10:07フクロウ岩10:12---11:52小秀山12:45---13:48フクロウ岩13:55---14:36白巣峠登山口
       


若いころから山登りを続けその経験と人柄から会員に慕われていた人がいた。仮にHさんと呼んでおくが、私より一回り年上のHさんの歳まで登り続けるというのが私の個人的願望だった。その目標としていたHさんが昨年12月に亡くなった。私だけでなく会員の誰もが深い喪失感と無常を感じた出来事だった。

Hさんの追悼登山をしようという声がどこからともなく湧きあがり、N田さんの提案で小秀山に登ることになった。この山にはちょうど3年前にHさんの希望でN田、Y井他と一緒に登っている事、山名にHさんの名前の一文字が重なる事、30周年記念の峠山から比較的近いという事ですんなりと決まった。

小秀山へは岐阜県中津川市加子母の乙女渓谷から登るのが一般的だが、Hさんたちは長野県王滝村の白巣峠登山口から登っているので、今回も当然そのルートをとる。距離、標高差とも後者の方が短い。

王滝村の宿を車で出て、途中、1984年の長野県西部地震の折に王滝川が堰き止められて出来た通称「自然湖」を見学してから、登山口の駐車場に9時前に到着した。既に先行者のものらしい車が一台駐車していたので、今日登るのは我々だけではなさそうだ。

3年前にはあったという登山口の標識が撤去されて、入口に「この歩道は造林作業に使うため設けたものであり、登山道として整備したものではありません・・・事故や怪我等の一切の責任は負いかねます・・・」と書かれた木曽森林組合の注意書きがある。登山者を歓迎しているわけではないが、登るのならご勝手にと解釈した。

登り出しは急登だが、尾根ルートなので振り返ると周りの山がどんどん低くなっていくのが励みになる。3年前の時には中央アルプスが良く見えたそうだが、今日は曇り空なので霞んでいるのが残念だ。ただ時折薄日が差すので雨の方は大丈夫の様だ。

登り口からも良く目立つ一本ヒノキの所で早くも休憩する。この後も先頭のN田さんがメンバーを気遣ってごくゆっくり目のペースで、かつ休憩も頻繁にとりながら登るので、歩みは非常にのろいが、焦って登る山ではないと自分に言い聞かせる。

早くも下山してきた先行者とすれ違ったので、今このルートの上部には我々以外のパーティはいないみたいだ。1,586pからの登り返しの途中にフクロウ岩と名付けられた大岩があり、この後も大岩が随所に現れる。古の御嶽噴火の名残だろう。標高1,750m辺りからコメツガを主体とした針葉樹林に入ると林床に白いバイカオウレンの花が見られ、所々にはシャクナゲの赤い花もあった。

小秀山山頂へは予定より大分遅れて12時直前に到着した。残念ながら御嶽はすっかり雲に隠れていて見ることはできなかったが、出がけに宿の大型望遠鏡でしっかり山頂の様子を覗いてきたので、これは諦めがついた。ただ、山頂到着の頃からポツリ、ポツリと雨滴が落ち始めたので、慌てて用意してきた追悼登山の横断幕を広げてとりあえず記念撮影を済ませる。この写真は後日遺族に渡すつもりだ。

小秀山山頂には3年前には建設中だったという中津川市が建てた立派な避難小屋があるので、記念撮影後は秀峰舎と名付けられたその小屋に逃げ込むと、大勢の登山者が休憩中だった。てっきり我々だけの貸切と思い込んでいたので驚いたが、岐阜県側からの登路が一般的という事を忘れていた。幸い小屋での昼食の間に気まぐれな通り雨も止み、下山時にカッパを出すこともなかった。

下りもまた時間をかけ、計画した時刻よりも30分程遅れて登山口に帰り着いたので、予定の列車に乗れるかどうか心配したが、これにはちゃんと間に合った。

今回は追悼登山として大勢の仲間達に集まってもらって、Hさんもおそらく喜んでくれた思う。それは勝手な思い込みかもしれないが、企画者としては大いに満足した山だった。/福西

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GPSで記録した登山ルートの地図画像が見られます。
オンライン地図(山旅倶楽部)の2万5千全国地図とカシミールを使用していますが、画像を縮小している為、縮尺は正確ではありません
地図上で登山ルートを赤色の実線で表示しています。歩いたコースが往復で異なる場合や行動が複数日に渡る場合は、色を変えている場合があります(例:登りを赤色、下りを紫色。一日目を赤色、二日目を紫色)