山行報告>深田百名山を目指す 2a 雄阿寒岳

2013/7/23

 
【日 程】平成25年7月23日
【山 名】雄阿寒岳
【標 高】1,370.4m
【天 候】曇り
【メンバー 】福福
【タイム】
登山口5:47−−−7:10三合目7:21−−−8:12五合目8:23−−−9:09雄阿寒岳9:51−−−11:13三合目11:20−−−12:23登山口
       


雄阿寒岳へは99年の8月に登っているので今回は2度目となる。
朝、居心地の良い阿寒湖キャンプ場を出て阿寒湖南側の登山口へ車を走らせる。

前回は登山口の駐車場からあふれた車が道路に列をなしていたが、今は駐車場には我々の車しかなく少し寂しく感じるほど。
目の前の阿寒川取水口の上を渡り、阿寒湖東端のくびれに沿って行くとすぐに太郎湖に着く。阿寒湖の水が勢い良く太郎湖に流れ出ていて、太郎湖をあふれた水が次に阿寒川に注ぎ込むという形になっているようだ。

太郎湖の先にある次郎湖は登山道からは見下ろす形になるので、間にある木が邪魔してスッキリ見渡せない。次郎湖を通り過ぎ、駐車場から歩き始めて30分強で一合目に着いた。

この山の合目標識には注意事項(心構え)とか声援とかが書かれていて、一合目のものは「大きな自然を護るのは、小さな一人のマナーから」と標語風だが、四合目のものは「半分以上クリアしました。ここから五合目迄がガマン所」とエールを送ってくれている。五合目になると「ここまで来たら8割クリア、自然をゆっくり楽しもう」となっていて、五合目で8割とはどういうこと?となってしまう。

前回登った時に「ここの合目表示は変だ」と報告文に書いた通りで、合目の区切りとその所要時間に随分とずれがあるのが雄阿寒岳の変な特徴だ。

前回はこの五合目まで登るのにふーふー言った記憶があるが、今回はそんな事もなく順調に登ってこられた。あの時は非常に気温の高い状態だったので、軽い熱中症症状が出ていたらしい。

その五合目の位置は雄阿寒岳下側の火口原にあって、しばらく平坦な灌木帯を進んで少し登ると六合目で更に進めば七合目と合目標識が短い時間に連続する。その七合目は上側の火口原に縁にあたり、そこからゆるい登りで少し行くと昔気象観測所があった八合目に着く。

そこにある解説板によると観測所が置かれていたのは、昭和19年10月から21年10月までの2年間との事で、終戦の年の前後2年間のみとは、戦争絡みの施設かと勘ぐってしまうが、設置目的までは解説板に触れられていない。八合目の先を少し下ってから登り返せば待望の雄阿寒岳山頂だ。

生憎雲が多く前回は見えた斜里岳等の眺望が無いのは残念なところだが、時々雲が薄くなって、眼下にパンケトー、ペンケトーの湖面を見ることができたので、今日はそれで満足する。それよりも前回はほうほうの体で山頂に辿り着き、食べ物は全く喉に通らず、水だけがぶ飲みしてお昼を済ませた。今回はラーメンにパンにバナナとしっかり食べられて、前回との体調の差は歴然だ。雲が多いせいで日が遮られ、低温気味だったおかげもあるのだろう。

さて、ここでこの山に二度登った訳を書いておこうと思う。もちろん登って楽しいからに違いないが、実は今年から10年計画で深田百名山を登り直そうという計画を立てた。実際にはまだ登ってない山もあるから正確には全部が登り直しではないのだが、初めての山を含めて百名山全てに登ろうということだ。そういう訳で今年最初の百名山が6月に登った恵那山で、次が今回の阿寒岳ということになる。

深田久弥の書いた「日本百名山」の本には阿寒岳と表記されて、その標高1,503m(当時)と添えられているが、実は阿寒岳という固有の名前の山はなく、雄阿寒岳と少し離れた雌阿寒岳の2つ総称である。百名山マニアの間では標高が該当する雌阿寒岳に登れば阿寒岳達成という事になっている。深田久弥自身は雄阿寒、雌阿寒の両方に登ろうとしたのだが、雌阿寒は噴火中の為に登れず、その時は雄阿寒岳だけにしか登っていない。
ということで、私も深田久弥を真似てまずは雄阿寒岳に登り、明日には雌阿寒岳に登ってみようと思っている。

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