【日 程】平成28年10月29日
【山 名】伯母子岳 【標 高】1,344m 【天 候】曇り 【メンバー 】Y井、福福 【タイム】 大股登山口7:37−−−8:18萱小屋跡8:26−−−9:08桧峠9:12−−−9:56伯母子岳10:03−−−10:15伯母子峠11:06−−−11:48上西家跡11:52−−−12:32水ヶ元茶屋跡12:39−−−14:03三田谷登山口14:06−−−14:27宿 |
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小辺路とは高野山から熊野本宮大社を結ぶ参詣道で熊野古道の一つである。
今回はその小辺路の中間部分である伯母子岳山麓の大股から十津川村の西中大谷までを1泊2日で歩いてきた。 名古屋から大阪難波を経て南海電鉄に乗り換え、最後はケーブルカーで高野山へ。高野山は初めて訪れる地なのでまずは金剛峯寺と奥の院に参詣した。行き交う外国人が多いのに驚いたが、国際色豊かな観光客と信徒が違和感なく混在する様子に新鮮な感じを受けた。宗教都市としての高野山はなかなか魅力的だ。 高野山から伯母子岳登山口近くの民宿へ行くには、野迫川村の村営バスを利用する。 16時台に一日一便だけの村営バスに乗り込んで、途中野迫川村役場でバスを乗り換え、目的の民宿まで1時間15分程かかる。役場の辺りで日暮れを迎え、暗い山道を我々の他にはバス通学の子供達を乗せて、どんどん山の奥へと向かっていくので、えらい所へ来てしまったものだという気になる。 ちなみに村営バスは土、日運休なので我々のような旅行者には非常に使い勝手が悪い。 公共交通機関でのアクセスが極めて難しい場所なので、先に一泊二日で小辺路を歩いたと書いたが、スタートするまでにもう一日どうしてもかかることになる。 翌朝、宿の車で伯母子岳登山口まで送ってもらい7時40分頃スタート。集落内の急な道を登っていくとやがて舗装が途切れ、そのまま杉林の中へ道は続いている。見通しの悪い杉林の中をジグザグに登っていくと最初の避難小屋に着いた。萱小屋跡である。 小屋の中は綺麗で薪ストーブもあり、外の薪小屋に薪が積み上げられていたのでこれなら安心だ。水はポリタンに入った水が置いてあったが、飲用可なのか不明だ。 萱小屋跡から先は山腹に沿った緩やかな道を行く。小辺路は大峰のような修験の為ではなく、生活や参詣の為の道なので山のピークをつなぐようなルートでは道は作られていない。なるべく高低差がなく歩きやすさを主眼としているのでトラバース路が多いのだ。 あまり特徴のない桧峠の所に立派なブナが1本あったが、他に景色が良いとかの見どころがないのは尾根道でないから仕方がない。やがて伯母子岳分岐に着くと右手が護摩壇山、左手が伯母子峠、直進が伯母子岳山頂とある。本来の小辺路ではないが伯母子岳への直進ルートをとる。 分岐から15分程度で山頂に着くが、強風の上、雲が多く楽しみにしていた展望は得られなかった。強風に追われるようにして伯母子峠に下ると避難小屋がある。別棟でトイレも有るが小屋内は暗く、先程の萱小屋跡避難小屋には劣る。それでも天候の悪いときにはありがたい小屋だろう。 ところで地図上の峠はこの位置より150m程東寄りにある。地形的にもその場所が合致しているのだが、伯母子岳分岐からの巻道も避難小屋の所で合流しているので、今は避難小屋の位置が伯母子峠となっているようだ。 峠からの下りはこれまでと同じように尾根ではなく山腹の巻道になっていて、まだらに色づいた木々を見ながら坦々と下る。峠から40分程下ると「上西家跡」に出る。 今は石垣を残すのみだが江戸時代には旅籠であったそうで、山中には珍しく広々として気持ちのよい場所だ。更に40分ほど下ると弘法大師像を祀った水ケ元茶屋跡に出て、ここで初めて単独の男性に出会った。挨拶を交わしただけだがその男性は直ぐに伯母子岳へ向かって登って行った。 道はいつしか尾根道に変わり石畳も現れるようになった。麓近くになってやはり石垣の残る待平は寺跡とも茶屋跡とも記録にあるようだが、関所跡との伝承も有り判然としない。 やがて三田谷登山口に到着して今日の山歩きを終了した。今日の行程は長いと身構えて行動したのだが、歩きやすい道のおかげで意外と早く里に下りてくることができた。 後は宿までのわずかな道路歩きを残すのみで、一日の行程を無事終了した事に満足を覚えた。 トップページへ戻る
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