【日 程】平成28年10月30日
【山 名】三浦峠 【標 高】1,070m 【天 候】晴れ 【メンバー 】Y井、福福 【タイム】 宿5:03−−−5:15船渡橋5:15−−−6:25三十丁の水6:32−−−7:07三浦峠7:18−−−7:55出店跡8:10−−−9:02矢倉観音堂9:16−−−9:35三浦峠登山口9:37−−−10:01西中バス停 |
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三田谷登山口から宿までは真っすぐ行けば15分とかからないのだろうが、ビールを手に入れるために集落で唯一の商店に立ち寄った。目的のビールは手に入ったから良いものの、店には他に売り物になるような物もほとんどなく、買い物客が訪れることはめったにないのではと思わせる店で、過疎地の実態が痛烈に身にしみた。
宿は廃校となった五百瀬小学校の教員住宅をコテージに改修したもので、テレビのないのを除けば生活家電は全て揃っているので不自由はない。我々のように早朝の出発を予定している者にとってはかえってありがたいのだが、それにしても人口流出や廃校の副産物としてのコテージというのも侘しさを覚える。 また、翌日登った小辺路の道端に五百瀬小学校の児童手作りの標識を良く見かけたが、その学校自体がもう存在しないと思うとちょっと切ない気がしたものだ。 翌朝、晩秋の5時はまだ暗い。ヘッドランプを点けて道路を三浦口バス停まで歩き、三浦峠への看板の所から右手の橋(船渡橋)を渡ると後は一本道になる。暗闇の中、ライトの当たる狭い範囲だけが明るくて、逆に光の当たらない方の闇は余計に深く感じる。 こんな風に歩いたのは何時以来だろうと考えてみる。ヘッドランプは最近はキャンプサイトで使う以外に歩くために利用する事はないのだ。 朝の冷え込みを心配していたが、思ったほどではなく背中に汗をかいてきたので、大きな杉の木の所で衣服調整した。すぐ先に吉村家跡防風林の看板があり旅籠を営んでいた屋敷跡の解説に昭和23年まで居住していたと書かれていて驚く。 少しずつ林の中も明るくなり、ヘッドランプも不要になると林の切れ間から朝日を浴びて薄紅色に染まった伯母子岳が見えた。今日のお天気は良さそうである。 「三十丁の水」は流れは細いが貴重な水場だ。往時の参詣者たちもきっとこの水で喉を潤したことだろう。 道は杉林を抜けて伐採地の中を行くようになり、向かいの山並みや麓の集落まで眺めが広がるようになった。 眺めを楽しみながら登りつめればそこが三浦峠で東屋とトイレ施設がある。今は峠を林道が横切っているので風情はないが、おそらく昔の旅人たちがほっと一息ついたように、我々もここで休息をとった。 地形的には三浦峠からこの先の西中への下りのほうが傾斜は緩くなるし、小辺路の二大難所である伯母子岳と三浦峠を越えた参詣者たちもきっと安堵したに違いない。 三浦峠から20分弱の下りで赤い毛糸帽をかぶったお地蔵さんがいる古矢倉跡に着く。ここも茶店兼旅籠だったそうで、昭和10年に廃墟になったとか。更に20分下ると出店跡で、やはりかつての茶店兼旅籠跡だが明治の末期には廃墟になり、その後昭和20年代の末頃まで遠くの谷から水を引いて水田を耕作していたと解説にあった。 この先も部分的に尾根を歩くこともあるが、ほとんどは山腹の巻道になっていて歩く人の負担のならないように道が付けられている。 矢倉観音堂は三体の石仏が収められたお堂で、毎年地域でお祭りをしていていると説明書きがあったので、ここまで下りて来ると里が近くなったと言うことになる。 実際、観音堂から15分程で矢倉の集落に着いて、そのまま舗装された道路に出た。舗装道路をずっと下っても良いが、ショートカットコースがその先に2箇所あって、一応そちらが小辺路という事になっている。標識もしっかりしているので迷うことはない。 やがて西中のバス停について山歩きはここで終了だ。この先は村営バスに乗って十津川温泉に向かう計画である。ところでそのバスの出発時刻についてだが、私が全く思い違いをしていて、10時15分頃までにバス停に着けば大丈夫と思いこんでいた。 ところが正しくは10時8分発で、どうも十津川温泉発の時刻と混同していたらしい。早めに着いたから事なきを得たが、冷や汗モノの事態だった。思い込みというのは怖い。 この後、無事、十津川温泉の温泉にも入り、大和八木までの4時間以上の長いバス旅も経験し、今回の山旅では初めてのことを色々体験できた。普通の山登りとはちょっと違うのだが、小辺路の旅は結構楽しめた。 トップページへ戻る
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