御嶽山山頂(剣ヶ峰)までの登山道が令和元年7月1日から10月16日までの間、通行可能になった。ちなみに前年の9月26日から10月8日までの間も同様の規制解除が行われて、この時は登山者で大混雑したらしい。 入山が規制されている山に登ろうとは思わないので、関係機関がOKだと言ってくれれば安心して出掛けられる。ただし、予め期間を限定しての規制解除というのはあくまで人間社会の都合に合わせているだけで、他の期間に比べてこの間の再噴火の可能性が低いというわけではない。 安全を考えれば、山頂付近での滞在は短時間に済ませて、登頂後は速やかに下山するというのが望ましい行動だろう。 朝一番の特急で名古屋を発って、木曽福島駅で10時40分発の御岳ロープウェイ行きバスに乗り換える。令和元年夏の時点では公共交通機関を使って行かれる登山口はこの御嶽ロープウェイか、同じバスで一つ手前の中の湯温泉に限られる。 日帰りの場合はロープウェイ利用ということになるが、その場合でもロープウェイ山上駅(飯森高原駅)の最終便が16時30分発なので、時間的にはかなり厳しい。 飯森高原駅を出て次のポイントである行場小屋までは10分とかからない。ウッドチップを敷き詰めた遊歩道的な道で傾斜も緩く歩きやすい。いかにも昔風の小屋という感じの行場小屋は「ちからもち」が名物で、どんなものか見てみたかったが、先を急ぐので素通りする。 シラビソやコメツガの中の道は多分昔からこうであったのだろう、木道で整備されていて急登もなくいかにも登拝の道という感じがする。以前この道を登ったのは平成元年9月の事で、その時は14人という大所帯で随分と賑やかな山登りだった。中の湯から登り始めてその日は九合目の覚明堂に泊まり、翌日に山頂に登ってから田の原に下った。今は王滝側は九合目から上部が立入禁止区域となっている為、剣ヶ峰から田の原に下りることはできない。 それにしてもこの道を行き交う登山者は多い。山の日の振替休日でお天気も良いとなれば当然かも知れないが、再び入山規制で登れなくなる前に登っておこうという、我々と同じ考えの人も多いのだろう。八合目の女人堂辺りで森林限界となり、辺りの展望が広がると御嶽の岩肌がぐっと近づいた感じになる。予定通り我々はここで昼食にして、この後の登りに備えた。 時間がないので20分ほどで昼食休憩を切り上げ、ここからはヘルメットを装着して出発する。カミさんのはこの日に備えて準備した新品の登山用ヘルメットだが、私のはかなりの年代物で、今どきこんなのをかぶっている人は多分いない。頭の上だけは依然「昭和」なのだ。 私自身は一般登山にヘルメットというのは懐疑的なのだが、現在は岩場のある高山にはヘルメットというのが趨勢で、もちろん御嶽においてもヘルメット装着が推奨されている。我々も山域に応じて今後は利用することになるのではと思う。 ちなみに御嶽山頂付近で見かけた登山者のヘルメット装着率はざっとの感じで50%程度だった。より軽量でカラフルな自転車用のものを利用している人を含めての割合だが、これを多いと見るか少ないと見るか、何とも判断がつかない。 登山道は岩ガレの道になり徐々に傾斜も強まってきてこちらの息も上がってくる。九合目石室は営業していたが、その上の覚明堂は扉が閉まったままだった。登るペースが次第に落ちてきたが、なんとかニノ池分岐まで登ってそこで一息入れた。ここから500m程先の二ノ池の畔に今年改築されたニノ池本館が見える。若い小屋の主人がインタビューを受けていたのをテレビで見たが、二度と被害に合わないことを願うばかりだ。 分岐から先は傾斜も弱まり、山頂部に向かっての最後の登りになる。 その山頂部に着くと建替え中の木造の建物、取り壊され積み上げられた山頂小屋の残材で雑然とした様子だ。その傍らにコンクリート製のシェルター3基と石造りの慰霊碑がある。社に登る石の階段は以前のままだが、噴石によりえぐられたり金属製の手すりがひしゃげて部分的には取り外されているのが痛々しい。 階段を登った山頂の社や社務所は建て替えられていた。ここから周りを見渡すと山自体は静かなもので、噴気の音や噴煙も見られない。しかし、ここは当初の予定通り長居は避けて直ぐに立ち去ることにした。 来た道どおりに八合目の女人堂まで戻り、ここでやっと安心して休憩を取ることができた。下っている途中もすれ違う登山者は引きも切らずという状況で御嶽人気は本当に凄い。時間をかけてゆっくりとビールを楽しんだ後、静かな御嶽がいつまでも続くことを願いつつ、腰を上げて下山の途についた。 トップページへ戻る
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