【日 程】令和3年4月16日 【山 名】北高尾から景信山 【標 高】堂所山731m、景信山727.3m 【天 候】曇り時々小雨 【メンバー 】福福 【タイム】 八王子城跡入口バス停8:16−−−8:36管理棟8:49−−−9:29本丸跡9:32−−−10:16富士見台10:17−−−10:32杉の丸10:34−−−11:41黒ドッケ11:42−−−12:39関場峠12:39−−−13:11堂所山13:45−−−14:38景信山14:53−−−15:31登山口15:31−−−15:40小仏バス停 今回の山行は北高尾山稜を縦走して、国境稜線(奥高尾縦走路)に合流後は景信山に登り小仏へ下山するというもので、標高は低いものの距離のあるコースである。 北高尾山稜の取付に八王子城跡(はちおうじじょうせき)がある。地元の八王子市では毎年10月に北条氏照祭りというのを行っているが、その氏照が築城した山城の跡である。小田原征伐の際、豊臣方の上杉景勝、前田利家ら大軍の猛攻を受けわずか1日で落城してしまったという悲劇の城だ。 高尾駅からバスで5分ほどの八王子城跡入口というバス停から20分の道路歩きでトイレもある管理棟に着くので、ここで身支度を調え直ぐ先の鳥居を潜って山道に入る。直ぐに分岐があるので左手の新道をとると、滑りやすい山土の尾根道になる。ちょっとした平場が金子丸という曲輪の跡で、。解説版がなければうっかり通り過ぎてしまいそうだ。さらに尾根道を直登していくと八王子神社があり、本丸跡は神社の直ぐ上だ。その本丸跡は山を削って作った広場に今は石碑と小さなお堂があるのみで、周りを木々の囲まれて展望は無い。 鳥居からここまで約40分。山城ファンならこの本丸跡で目的達成になるのだろうが、我々の方はここから縦走が始まる。一旦神社に下り山腹の道から次の小ピークに登ると天守閣跡という石碑があった。先ほどの本丸跡より規模は小さいがこれも曲輪の一つだ。それにしても結構大がかりな山城だったようだ。次のピークの富士見台もやはり木々の囲まれているのではたしてここから富士山が見えるかどうか。今日見られないのも曇り空のせいばかりではないかもしれない。 北高尾山稜はこの先も標高500m〜600mの小ピークが連続して、常にアップダウンの道を歩いているようて、トレーニング目的には向いている。また行き交う人も少ないのでコロナの時期には安心な山かも。 右手の林道と登山道が併走する箇所で4人組を追い越し、更に黒ドッケ手前で3人組を抜いて順調に進んでいたが、杉の丸のピークを過ぎた辺りから雨がぱらついてきた。予想より降り出しが早まったのだろうかと大嵐山の手前でカッパを着込んだが、それほど強い降りにはならなかったので着なくても良かったかもしれない。 この辺りから広葉樹が目立ってきて、林の感じがぐっと良くなる。ただし、関場峠は植林の中で展望も無い。関場峠からは国境稜線に向かって標高差180mの登りになり、登り切ればベンチの置かれた堂所山のピークに着く。堂所山は国境稜線上のピークではあるが、展望に優れているというわけでも無く、山腹を通過する巻き道の方がメインの縦走路になっていて訪れる人は少ない。我々自身も陣馬山から高尾山への縦走の折には巻道で通過していて、ピークに立ち寄るのは今回が初めてになる。 幸い雨は止んでいるので、この不遇なピークのベンチで遅めの昼食をとっている間に、追い越したパーティが上がってきた。その2組目のパーティの到着を潮時にして我々は最後のピークである景信山に向かった。奥高尾縦走路もいくつかのピークを連ねているが、この辺りは北高尾山稜のように小刻みなアップダウンは無く大らかな起伏で繋がっている。堂所山と景信山は標高はほぼ等しいので、2.5km弱の距離を50分ほどで歩けてしまう。 その景信山には茶屋があって普段は人の姿も多いのだが、この日は平日のせいか我々の到着した時には人影は全くなかった。ここで時間を確認してみると、計画より1時間前のバスに間に合うかもしれないと分かり、休憩は諦めて直ぐに下山することにする。下りに弱いカミさんの足を心配したが、なんとか頑張って登山口まで下り、後は道路を急ぎ足で小仏バス停に向かって発車間際のバスに間に合わせた。 そんなことで今回は慌ただしい思いもしたが、静かな山旅と最後は滑り込みセーフという形で終えられたのが良かった。今後も乗り物運には恵まれたいものだ。 トップページへ戻る
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