【日 程】令和5年4月13日 【山 名】龍王山 【標 高】585.5m 【天 候】晴れ 【メンバー 】福福 【タイム】 柳本駅8:33--8:44崇神天皇陵遥拝所8:44--9:55長岳寺奥の院9:58--10:09林道出合10:19--10:31龍王山11:09--11:16林道出合11:21--12:12長岳寺12:12--12:29柳本駅 NHK BSから総合へ移行した「吉田類のにっぽん百低山」で知った山で、番組内では山中に古墳が多いことや山頂からの展望が良い山として紹介されていた。特に奈良盆地を見下ろす眺めの良さに惹かれてこの山を計画してみた。 前日は奈良市内に宿泊し、当日は奈良からJR桜井線に乗り柳本駅で下車して、ここから龍王山を目指す。駅前から真っ直ぐ東に向かうと左手に水濠に囲まれた黒塚古墳がある。解説板によれば3世紀後半に築かれた全長134mの前方後円墳で、傍らに出土した副葬品を展示する展示館もある。こういうのが住宅地に突如現れるのだから奈良は凄い。 そこを過ぎ車の往来の多い国道を渡ると、先程の黒塚古墳より更に規模の大きい行燈山古墳(崇神天皇陵)に着く。龍王山への登路は南回りルートと北回りルートの2本あるが、類さんが南回りで登っているので、我々も南回りから登り、北回りを下るという周遊ルートで計画してみた。南回りルートは行燈山古墳の南側の縁に沿った道を進み、竜王山へ4.0kmと書かれた標識の所で山の辺の道と分かれ、そのまま進むと沢沿いの道になる。場所によっては少しぬかるんだ所もあるので、泥跳ねに気をつけながら進むと、案内マップに六体地蔵石仏とある場所に着いた。上部が欠けた苔むした石板に4体彫られているのはかろうじて分かったが、残りの2体は欠損しているようだ。 この先いよいよ龍王山古墳群に入っていく。番組の中でもちょっとした地面の膨らみを指して、あれも古墳ではないかとか、これもそうだとか言っていたので、こっちの見る目もそう見えてしまう。古墳の数は山中に数百に及ぶそうであるから、当たらずと言えども遠からずと言ったところか。確かに対岸に石室入り口らしきものが見えたし、登山道の脇にもそれらしきものがあり、内部を覗いてみると、壁や天井が岩で組まれていて、明らかに石室と思われた。 長岳寺奥之院80mという標識に着いてちょっと寄り道してみる。行ってみると不動明王等の石仏が置かれていたが社はなかった。ここから元の道に引き返したが、案内マップによれば内部の見える古墳というのがその先にあったようで、ちょっと惜しいことをした。この後、しばらく階段が続くようになりそれを登り切ると舗装された林道に出る。そこにあるトイレの横に案内地図の看板があるが、これを見ても位置関係が良く分からない。 案内標識の表示も龍王山ではなく柳本龍王社に変わってしまいまごつく。しばらくウロウロしたが、どうも柳本龍王社の先に龍王山(南城跡)があるようだ。 柳本龍王社はしめ縄による結界の奥に小さな池と水神を祀る社がある。奈良盆地を潤す貴重な水源としてこの山が大切にされているのが分かる。龍王社を過ぎるといよいよ山頂への最後の登りになる。木組みの階段の後に城跡の名残の石段を登ると類さんが二の丸と言っていた平坦地に出る。ここは元々は中世の大和を代表する城郭跡で、橿原市の十市周辺を本拠とした十市遠忠が拠を構え、その後松永秀久に支配されるところとなり、最後は織田信長により廃城となったという。 そこからもう一段登ると、先程より更に広い平坦地の本丸跡で、ここが三角点のある龍王山山頂ということになる。何と言ってもこの山頂の良さは大和平野を一望する景色の良さで、遠くに金剛山、葛城山、二上山を望み、空気が澄んでいれば明石海峡大橋も見られるという。当然、その景色を期待して登ったのだが、当日は天気は良いのに黄砂の影響で遠くの山は完全に霞んでしまい、手前の大和三山がかろうじて見られる程度で残念ながら眺めを満喫というわけにはいかなかった。いつか再チャレンジしたいものである。 ちなみにこの南城跡から北に500m程離れて北城跡があるが、そちらは展望はないそうである。昼食後は北回りルートで下ったが、途中で行き交う人の多いのには驚いた。登りには人に会うこともなかったのに、やはり人気の山なのだと納得したことだった。 話しは変わるが、「百低山」番組始めの頃は、類さんの足取りがおぼつかなく、ゲストより先にバテてるようにも見えて、山の経験があるはずなのに酒の飲み過ぎじゃないのかと心配していたが、回を追うごとにしっかりしてきて、今ではどの山も余裕で登っているように見える。やっぱり山登りは継続が大事だなぁとテレビを見ながら思った次第。 トップページへ戻る ポイント写真及び山の位置はこちら→ ![]() |
|
前の山行報告へ |
![]() |
GPSで記録した登山ルートの地図画像
が見られます。 |