【日 程】 令和6年5月26日 【山名・標高】燧岳 2,356m 【天 候】 晴れ 【メンバー】 福福 母親が4月初旬に亡くなったので喪中の旅行は控えていた。だからこれが忌明け最初の山ということになる。燧ヶ岳は昨夏に計画したものなのだが、その時はカミさんの体調不良により途中で引き返して登頂に至らなかった。今回はその時の計画をそのまま再挑戦する。 前夜宿泊した御池ロッジを6時頃に出発して、駐車場奥の登山口から進み燧ヶ岳まで4.5kmと書かれた分岐標識の所を左に入る。しばらくは木道の敷かれた緩い道が続き、早速水芭蕉のお出迎えも受けた。しかし、そこを過ぎると岩のゴロゴロした急な登りになり、滑りやすい岩と薄く残った残雪の踏み抜きに注意しながら歩く。 去年登った時は大雨の翌日だったので、流れ落ちる水の中を沢登りのようにして歩いたが、今回はそういうことはない。ただ、気温が上がった午後には雪解け水のせいで似たような状況になっていた。やがて傾斜が緩んで再び木道が現れると最初の休憩ポイントの広沢田代に着く。花もなく一面茶色の原という風情だが伸びやかな広がりには心を癒やされる。 昨年この場所に仮置きしてあった木道資材が姿を消していたので、それなりの量の木道付け替えが行われた筈だが、まだまだ摩耗したり破損した木道は数多くある。この道を維持するためにどれほどの労力と予算が投じられているかと考えると、利用者としては文句を言えた義理ではない。それでも壊れたりかしいだりしてしまった様子を見ると、木道自体が危険物になっているのではないかという危惧は残る。 休憩中にカミさんがペットボトルのお茶を途中で落としたらしい事が判明したが、今更どうしようもなく手持ちの分で何とか凌ぐしかないと諦めて出発した。なお、このペットボトルについては偶然だが下山中に無事回収できた。 湿原の先からまた急登に戻り、去年の引き返し点も通過してなおも登る続けると、やがて傾斜が弱まり熊沢田代の一角に飛び出した。標柱の所まで行って休憩にしたが、広沢田代を出発してから1時間はかからなかった。熊沢田代から先は残雪の量も増えてきて、標高2,150m付近から距離にして200m弱の雪渓が現れたのでチェーンスパイクを付ける。雪は緩んでいるので絶対に必要というわけでもないのだが、付けたほうが楽である。 雪渓が終わると少しトラバース気味に進み、その後直登すれば待望の俎ーの山頂だ。燧ヶ岳の三角点のあるのはこちらだが、最高地点は西に300m程離れて柴安ーなので、休憩もそこそこにして更に進む。岩場の道を50m程下った鞍部から振り返ると俎ーの右手に綺麗に虹がかかっていた。吉兆に気を良くして登り返しにかかると、途中で前夜同宿だった単独女性とすれ違った。彼女は我々より1時間早く出発したそうだ。 到着した柴安ー山頂には我々二人だけだった。眺めの方は北東方向に会津駒、北西の方角に平ケ岳その右手に中ノ岳、越後駒ヶ岳、荒沢岳と北側の景色ははっきり見えた。ただ、西から南にかけては雲があり、かろうじて尾瀬ヶ原は見えたものの至仏山は雲に隠れていた。他の登山者が上がってきたので、我々は俎ーに戻りそこから下山の途についた。 カミさんは下りになると足の踏ん張りが効かなくなるようで、ちょっとした雪渓でも腰が引けている。登ってきた登山者から「オヘソを前に出す気持ちで歩くと良いですよ」と指導を受ける始末だった。下山予定時刻が迫ってきたので広沢田代では休憩も取らず下り続け、御池登山口には14時丁度に到着した。 5分発のバスに間に合わせるため私だけロッジに向けて小走し、預けておいた荷物を受け取ろうとしたのだが、それに手間取りこの時点で既にバスの出発時間に。ところが後から頂上で出会った単独女性が同じ目的でロッジに駆け込んできて、バスを待たせていると言う。外に出てみると確かにバス停ではなくロッジ前にバスが待機していた。 二人でこのバスに飛び乗ってやれやれ一安心と喜んだのだが、それもつかの間、何とカミさんが乗ってなかった。後から聞くとバスの発車時刻を勘違いしてのんびりしていたそうだ。この為私だけが先に下って、カミさんは次のバスまで2時間を御池で過ごす羽目になった。この日は檜枝岐でもう一泊する予定だったので、それでも問題はなかったわけだが、それならそれで最初の計画から遅いバスにしておくか又は朝の出発時刻を30分早めておけば良かったというのが今回の反省点だ。 ![]() ![]() |
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