【日 程】 令和6年6月20日 【山名・標高】雁田山 759.3m 【天 候】 晴れ 【メンバー】 N田、N瀬、福福 北東信濃に雁田山という里山がある。以前忘年会の帰りに登ったことがある山で、その時の報告では「雁田山の印象はとても良い。もう少しのんびり登れたら更に良かったと思うが、もう一度登る機会はあるかな?」と結んでいる。もう一度登る機会はあるかと自分に尋ねるような体裁になってる場合は、大体はもう次はないだろうと言外に匂わせている場合が多い。 実際の所、雁田山にまた登ろうと考えたこともなかったのだが、ひょんな事から登る羽目になった。今度こそのんびり楽しんで登ろうという訳ではなく、別の事情があったからだが、それについては後ほど述べる。 当日、駐車場を出発して岩松院脇の道から登山口に向かう。前回はこの登山口に降りてきたので、逆コースで歩く形になる。登山口から岩と松の目立つ尾根道を5分ほど登ると、石垣と小さな石の祠のある小城に着く。この小城と上部にある大城を合わせて苅田城と言うらしいが、そこにある解説板には詳細は不明とあった。小城から先は傾斜が強まり、大城直前は急登になる。 東屋のある大城は名前の通り城の主郭部であり、小城に比して広い平坦分を持つ。従ってこの先の道は城郭内の平坦部分を進み、やや下り基調になってから緩やかに登り返す。途中にツツジ台という標識があったが展望のない場所だった。引き続き尾根を登るが、登り詰めた千僧坊の手前は特に急登だった。千僧坊の名の由来は岩松院の前身である千僧林念仏寺から来ているとの事であるが寺跡ではないそうだ。 ここで暫く休憩してから主稜線を南に下る。下ってまた登り返すというアップダウンはあるが、小さなものなので大汗をかかされるということはない。姥石という巨石を過ぎると東屋もある展望広場に着く。展望と付くだけあって麓の小布施の町が良く見える。看板にある北信五岳も見えるには見えるのだが、今日の暑さのせいでややもやっていてスッキリというわけには行かなかった。 昼食後、ここを下って登り返せば三角点のある雁田山山頂だ。反射板跡などという無粋な解説板が立っている上に、林に囲まれているので眺めもなく、山頂としての扱いは控えめだ。先程の展望広場で十分休息はとったので、このピークはほぼ素通り的に下山にかかる。ここからの道は登りに使った千僧坊への道よりは傾斜も緩やかで歩きやすいのだが、我々が目的とした場所はこの先にある。 実は私の加入している山の愛好会メンバーがこの先の斜面で滑落して重症を負うという事故を2週間前に起こしていた。今回は当時の状況を確認しながら事故の検証を目的に同じコースを登ってきたのだ。いよいよ事故現場が近づくと藪を漕ぐような物音が聞こえてきた。複数の箇所から聞こえるので熊ではなさそうだが、行ってみて分かった。山岳団体のメンバーが斜面にロープをフィックスして事故者の遺留品を捜索していたのだ。 事故はその山岳団体が主催する登山教室中に起きたものだったので、事故日以降ほぼ連日のように捜索活動をしているという。本人の不注意により引き起こされた事故であるのにも関わらず、主催者としての強い責任感と何としても探し出そうとする熱意、事故者に対する優しい気遣いに、我々一同はただただ頭を下げるのみだった。結局、その日も遺留品の発見には至らなかったが、もう十分ですからと何度もお礼を言ってその場を辞したのだった。 偶然の出会いだったのだが、事故当日の様子も改めて詳細に聞くことができて、検証作業をするものとしては有り難い出会いだった。今度は我々が彼らの尽力に応えるような検証結果を出す番だと強く心に誓って山を降りたのだった。 ![]() ![]() |
雁田山 / ふくさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ