【日 程】 令和6年9月7〜9日 【山名・標高】 笠ヶ岳 2,897.6m 【天 候】 1日目晴れ、2日目曇り、3日目晴れ 【メンバー】 ふく 私とカミさんはそれぞれ長年山登りを続けていたが、改めて夫婦揃って深田久弥の日本百名山に登り直そうと計画を立てたのが今から11年前の事だ。 2013年7月の恵那山を皮切りにこれまでに59座に登ってきたが、最近になり麓まで一緒に行っても体調不良を理由にカミさんが登らないという事が増えてきた。そんな時は私一人で登っているのだが、「夫婦二人で百名山」が「夫一人で百名山」になってしまい淋しい山登りになっている。出来れば計画を完遂したいのだが、年齢的な事もあり無理はできないところでは有る。 そんな事で今回の笠ヶ岳も私一人で登ってきたのだが、さて私自身は笠ヶ岳にこれまで何度登っているのか過去の記録を調べてみた。初めて登ったのは1975年(昭和50年)8月で、この時は立山室堂から入山し、五色ヶ原、薬師岳、太郎平、雲の平、双六を経て笠ヶ岳に登っている。下山は深田久弥も下ったクリヤ谷コースだった。二度目は1978年(昭和53年)8月で折立から入山し、太郎平、黒部五郎、三俣山荘、双六を経由して、この時も下山はクリヤ谷だった。 三度目は1981年(昭和56年)8月で新穂高から入山し、わさび平、シシウドヶ原分岐から今は廃道となった道を大ノマ乗越に上がり、秩父平を経て笠ヶ岳へ。この時の下山は笠新道を利用している。四度目は1994年(平成6年)9月で新穂高から入山して笠新道を登り、翌日笠新道を下った。北アルプスの山で同じ山に4回というのは私としては多い方だと思うが、一番最近のものが30年前とあってコースや山の様子の記憶はおぼろげだ。 1日目 当日の朝、カミさんに見送られて新穂高の宿を出発し、蒲田川左俣谷の長い林道を進む。お天気は晴れていて暑いが山の稜線にはずっと雲がかかったままだ。水場の有る笠新道入口を過ぎると直ぐにわさび平小屋に着くのでここで一息入れた。私の知っているわさび平小屋は林の中にひっそり佇むというイメージなのだが、今は建物も一新されて雰囲気も明るい。小屋前の水槽には飲み物や果物類がたっぷり冷やされ、購買意欲をそそる。 わさび平小屋を出発し小池新道入口で林道と別れ登山道に入る。ここまでもそうだが登山道に入ってからも行き交う人の姿は多く、さすが北アのメインルートだ。登山道に入って最初の休憩ポイントの秩父沢出合ではやたら暑いのでわずかな日陰を探して水をガブガブと飲む。谷の奥は黒い雲が稜線を隠していた。イタドリヶ原、上涸れ沢の標識を過ぎシシウドヶ原で二度目の休憩を取って昼食のパンを食べた。ここまで来れば今日の宿の鏡平までは1時間かからないのでちょっとほっとした気分だ。 相変わらず日差しは厳しく水を良く飲む。鏡平山荘直前に槍の展望場所として名高い鏡池が有るが、この日はガスで展望はなかった。鏡平山荘には昼過ぎに着いて案内された新館は一人用とか二人用に小さく区画されていて、料金は大部屋料金で泊まれる。ビールは玄関に有る自販機で購入する。携帯の電波も入る快適な小屋だった。 2日目 朝、出発前に鏡池から朝日の当たる槍ヶ岳や穂高連峰の写真を撮る。逆光の上に雲の湧き上がりが早くシャープな写真にならなかったが、何とかシルエットをとらえることが出来た。山荘に戻り6時直前に小屋前を出発。ここから弓折乗越までは標高差300m程の登りになり、新穂高から1日で双六小屋を目指す人にとっては最後の踏ん張り所になるが、まだ元気の有る朝の内に登る分にはそれほどの登りではない。 弓折乗越は既にガスの中で展望はなく、休む事もなく左手の笠ヶ岳方面への稜線を進む。この先は人影もぐんと減るのだろうと想像していたが、思っていたよりは人の姿があった。展望がないので弓折岳には寄らず、オオノマ乗越ではかつて通ったシシウドヶ原からの道跡を目で探してみたが見つけることは出来なかった。その先の大ノマ岳では山頂標識が見当たらず、少しハイマツの中にも分け入ってみたが結局それは見つからなかったので無いのかもしれない(三角点はない)。 尾根の北側は灌木帯、南側は草原帯という感じの稜線を進むのだが、スッキリ晴れてなくガスの中をただ歩くだけというのはちょっと味気ない。秩父平を過ぎると進行方向は大きく南に向きを変える。抜戸岳に向かってゆるゆる登っていくと抜戸岳山頂への分岐が有ったが、この天気では寄らずにその先の笠新道分岐で昼食休憩をとることにした。宿で作ってもらった弁当を広げていると、笠新道方向から3人の男女(それぞれ単独)がやって来たので驚いた。 まだ9時15分頃という時刻に笠新道入口から6時間20分のコースタイムのこの場所に辿り着くとは天狗のような速さだ。思わず感心してその内の女性に声をかけてしまったが、「凄く早い時間に登り出したんですよ」と実にあっさりした返事だった。昼食を終え既に姿も見えなくなった彼等の後を追うが、結局追いつくことはなかった。緩やかな道を進んでいくとやがてキャンプ場に着いた。 3回目と4回目の時は私もここでテントを張っている。特に4回目の時は夜中に雷に見舞われて、朝になったらテントのフライシートに雹が筋子のように固まってるのを見た事をよく覚えている。11時前に笠ヶ岳山荘に着いてから笠ヶ岳山頂に向かったが、頂上はガスで展望ゼロ。誰もいない山頂で自撮りだけして小屋に引き返した。帰ってもテントと違いやる事もなく、ビールを飲みながら小屋の図書を読み漁って時間を潰した。この小屋は蚕棚の有る普通の大部屋だった。 3日目 前夜の19時前にガスがとれた槍穂をカメラに収めたが、この日も晴れた朝だった。5時半前に小屋を出発する。この日は笠新道を下る計画だ。 それにしても3日目にして素晴らしい天気になった。特に2753p付近から振り返って見た笠ヶ岳は見事だった。前日とはえらい違いである。この天気につられて予定にはなかった抜戸岳山頂に登ってみることにした。 登り着いて眺めを堪能できたのも勿論だが、ほぼ同時刻に登り着いた登山者に記念の写真を撮ってもらえたのも良かった。笠ヶ岳山頂とは比べ物にならない良い写真だった。気を良くして下り始めたが、この下りは長い。岩場の急な道が続き、杓子平で一旦傾斜は緩むのだが、その先は更に傾斜がキツくなる。日差しは強く汗まみれになって膝もガクガクして押さえがきなくなっても先はまだ遠い。 そんな中を登ってくるパーティがある。感心すると同時にこの調子では私がここを登るのはもう無理だなぁと悲観的な気持ちになった。そんなヨレヨレの状態で何とか笠新道入口に着いて、持ってきた水は全部ここで飲み干し、更にこの先の林道歩きに備えて水場から水を補給したのだった。 今回、カミさんが登らないと決めたとき、私一人なら笠新道往復コースに変更しようとしたのだが、山小屋の予約が取れずやむを得ず原計画通りに実行した。ただ考えてみると笠新道往復というのはかなり無謀な計画だったかもしれない。と言うのも古い記録で調べてみると3回目、4回目共に笠ヶ岳キャンプ場から笠新道入口までテントを背負って3時間40分で下りているのが今回は5時間40分かかっている(抜戸岳往復分が加算されてはいるが)。 30年の間に私の体力、力量はそれだけ落ちているという事で、結論としてあの日に山小屋の予約が取れなかった事は私にとっては幸運だった。自分の実力を過信してはいけない。 ![]() ![]() |
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