【日 程】 令和6年11月11日 【山名・標高】高千穂峰 1,573.6m 【天 候】 曇り 【メンバー】 福福 奄美大島を皮切りに鹿児島の観光旅行を計画して、その中に軽めの山として高千穂峰と開聞岳の2つを含めた。 高千穂峰には1997年(平成9年)8月にT田さんと二人で登っている。その時は雨の中を韓国岳から縦走して、高千穂河原で諦め気味に昼食のビールなど飲んでいたら、どういう加減か雨が上がってきたので慌てて登ったのだった。ただし高千穂の山頂では再びガスに覆われて展望はなかったと当時の記録にある。 雨にこそ降られなかったものの、展望のないのは今回も同様で天孫降臨の地は我々にはあまりいい顔をしてくれない。 当日の朝は良いお天気だったのに、高千穂河原で準備をしてる間に雲が広がってしまい、あれれっという感じで出発する。鳥居をくぐって真っ直ぐ進むと霧島神宮跡(古宮址)があって、前回はそのコースで往復しているが、今回は右手の自然探求路入口の方から入った。林の中の石畳の道を進むと林の切れ目から左手に中岳が見えてくる。韓国岳から縦走してきた時には中岳の広い火口原を通っているのだが、2011年の新燃岳の噴火に伴う噴出物の堆積により、中岳の火口付近は我々が歩いた時とは随分様子が変わってしまった事を下山後に立ち寄ったビジターセンターで知った。 傍らに東屋のある分岐を過ぎると、やがて林を抜けてスコリアと呼ばれる赤い火山岩に覆われた山腹の道を行くようになる。歩くのもやっかいなグズグズの岩で特に下りは注意が必要だ。そんな所を火口壁まで登ると反対側に巨大な火口を見下ろすようになる。おおよそ130m下にある火口の底に、石を並べて「文化会」という文字が描かれていたと前回記録してあるが今はもうない。自然に無くなるものでもないので撤去されたのだろう。石文字を組んだのは高校生あたりではと推測するが、道もない火口内を下りたり登ったりするだけでも大変だっただろう。 道はお鉢の縁を進んでから20m程下ると小広い場所に出て、石造りの鳥居と社のある霧島神宮元宮に着く。最初はこの場所にあった霧島神宮は次に高千穂河原に移り、更に現在地へと場所が変わっている。 元宮から高千穂山頂までは残り150m程の最後の登りになるが、綺麗な円錐形の山なので元宮の辺りから真横にすっぱり切り取ってひっくり返せばさっきのお鉢に綺麗に収まりそうだ。そんな馬鹿げた事を考える内に山頂に到着した。雲に囲まれた頂上は期待した展望は得られず風が冷たかった。天の逆鉾をバックに記念撮影してから山頂にある山小屋に寄ってみる。人気がなかったので入るのは止めたが、一見したとろこ営業はしてないように思えた。なお小屋の隣には以前にはなかった携帯トイレブースが設置されていた。 頭上の雲が取れて日が差し込むこともあっても、周りの景色が見られることはなく一緒に登ってきた連中もほぼ下ったようなので、我々も下山にかかる。登りの時よりも足元に注意を払いながら進み、雲が晴れないかと時折周りを見回したりしてもその気配はなく、むしろガスが濃くなっているように思える。分岐の所まで戻ってから来た道とは変えて右手に取り古宮址に寄ってみる。 前日の11月10日にここで「天孫降臨御神火祭」が行われ御神火が灯され、祈願絵馬と祈願札のお焚き上げが行われた筈だ。神事の有る事は前日に知ったのだが、開始が午後5時とあって参加は断念したのだった。その場に立っては見たものの綺麗に掃き清められていて前夜はどの程度の規模で行われたかわずかな痕跡からは想像がつかなかった。 古宮址から参道を下り大鳥居を潜って山歩きを終えたあと、ビジターセンター近くの感じの良い若者がやっているコーヒーショップに入り、美味いコーヒーとあんバタートーストで締めくくった。 改めて高千穂峰に登ってみて、天孫降臨に思いを馳せることはなかったが、27年前にT田さんと一緒に登った時の事がただ懐かしく思い出された今回の山歩きだった。 ![]() ![]() |