北岳に登るのは今回で5度目だが、最も印象に残っているのは初めて登った1982年(昭和57年)の台風10号との遭遇だ。7月31日夜半から風雨が強まり、翌1日には北岳山荘前に張っていたテントが二人が入っていても浮き上がるほどの強風になった。そんな暴風雨の中を広河原に下山し最後のバスで奈良田に出て、そこから身延・富士経由でからくも名古屋に戻る事ができた。 我々が通過した東海道線の富士川鉄橋はその数時間後に大水により流失し、また広河原や奈良田も大きな水害に見舞われたことは後から知った。我々はうまく脱出できた方で、逃げ遅れて山荘に留まった人達は数日後に自衛隊のヘリコプターで救出されたそうだ。これははるか昔の事ではあるが直近のものでも1995年8月中旬に行った北岳から塩見岳への単独テント縦走なので今回は30年ぶりの北岳となる。コースの重なっている部分について、その時とのタイム比較もしてみたいと思う。 1日目 当日の朝、東京を出発して広河原にバスが到着したのが11時。バスから降りたらそのまま出発し吊橋を渡って登山道に入った。20分も歩いたところで背中の荷物を整理して再び背負って歩き出そうとした時、60代の単独男性が無言のまま追い抜いていった。別に競争するわけではないのだが二人が同じペースなのでくっついて歩く形になる。白根御池分岐から先は道が急になり、尾根道がトラバースに変わる標高2,250m辺りまでは急登が続く。 それにしてもこの道で下山者とよくすれ違う。若い人が多いのは今日が日曜日で明日から仕事という人達なんだろう。そんな生活とは縁がなくなってウン十年という私には彼らの姿がちょっとまぶしい。くっつき二人組の方は再び私が前に出てやがて男性の姿も見えなくなった。直登が終わり巻き道に入ると呼吸も楽になり、やがて見覚えのある水場に着いた。ここまでくれば今日の宿まではまもなくだ。ペットボトルに流れの水を足していると、何と件の男性が現れてびっくり。引き離したと思っていたのにちっとも離れてはいなかったのだ。 白根御池小屋は改装されていて、床はフローリング材が使われ、トイレも匂わず非常に綺麗だ。居室はひとりずつパーテーションで仕切られているのはコロナ以降の山小屋のスタイルなんだろう。実はここでのランチを楽しみに登ってきたのだが、受付は1時までだそうで残念ながらありつけず、カップラーメンに生ビールというささやかな昼食になった。 ◎歩行時間比較(A(1995年8月)はテント山行、B(今回)は小屋泊り) A 広河原14:23--16:40白根御池 歩行時間2時間17分 B 広河原11:02--13:27白根御池 歩行時間2時間25分 2日目 朝5時15分、ほぼ最後の登山者として小屋を出ると直ぐに草すべりの登りになる。傾斜が緩まる小太郎尾根分岐までは標高差600mの急傾斜が続き小さなジグザグを繰り返しながら標高を上げていく。30年前もこの登りは辛かったなぁと思い出しながら、上部に行くほど鮮やかさの増すお花畑を慰めにして登る。 上から降りてきた男性に目を留めると、何と昨日くっつき二人組を演じたあの男性だった。彼は昨日肩の小屋まで行って泊まり、今日北岳山頂を往復して下りてきたのだそうだ。道理で昨日の小屋では見かけなかったはずで、それにしても立派だ。その直後にやはり下りてきた登山者から「同じ靴ですねぇ」と声をかけられた。私は「ゴロー」という店のオリジナル登山靴を履いているのだが、今回のようにまれに同じ靴を履いた人に出会うことある。何だか嬉しくなって今回もエールを交換して別れたが、ささやかなやりとりであっても辛さが和らいだような気がした。 小太郎尾根分岐で急登を終え、ゆったりとした尾根道となった肩の小屋の手前で先行者が指さしている方にライチョウがいた。この日は小屋を出た時から曇り空で、この辺りはガスの中なのでライチョウも安心して出てきたのだろう。展望はないものの肩の小屋を過ぎた所で休憩をとり、小屋で作ってもらったお握り3個の内2個を食べた。山登りは腹が減る。両俣分岐を過ぎなおも登っていくとガスで視界のないこともあって意外とあっさり北岳山頂に着いた。 男性が二人いるだけの静かな山頂で、お願いして写真を撮ってもらった後は北岳山荘に向かって下山を始める。今回の北岳での楽しみはキタダケソウを見つけることで、一度この花を見てみたいと願っていたのだ。下から登ってきた登山者に聞いてみると少し下に群落があるという返事にこちらは大喜び。そして念願のキタダケソウを発見した。小さな群落を1箇所だけではなく3箇所見つけたが、下のものほど花期を終えている様子だった。それでも6月から7月上旬とされている花の季節に何とか間に合って大いに満足した。この後、今日宿泊の北岳山荘に不要な荷物を置いて、身軽な格好で最終目的地の間ノ岳に向かった。 間ノ岳までは急登はないものの、狭い岩稜やザレた尾根が連続する道で「天空の縦走路」からイメージする牧歌的な尾根道があるわけではない。途中2箇所でライチョウを見かけたが、逃げる様子もなく堂々としていた。誰もいない間ノ岳山頂に着いてやむなく自撮り。それにしても標高では北岳より3m低いだけなのに、圧倒的な存在感を放つ北岳に比して、間ノ岳は地味というのか裏方的なイメージが有る。相変わらず眺めはないので後から来たカップルに頂上を譲って来た道を山荘に向けて下った。 ところでスマホ電池の残量不足には気づいていたが、まだ大丈夫だろうとそのままにしていたGPSのログが欠損している事が家に帰ってから分かった。電池残量が0になるまでは記録し続けると思い込んでいたのが、ある程度電力が低下すると記録をしなくなってしまうようだ。欠損は中白根から間ノ岳の中間点から始まり間ノ岳を経て北岳山荘に戻るまでで起きていた。この間の記録は手動で補正したがいびつな形の軌跡で残ってしまったのが残念なところ。 山荘に戻り夕食までの間、部屋で横になっていると窓の外が明るくなっているのに気づき、急いで外に出てみると青空をバックにそびえる北岳の姿があった。今日は眺めの方は駄目だと思っていただけにこれは嬉しかった。ただ、この景色は長続きはせずまた元のガスに覆われてしまって、折角の七夕の夜も星は見えなかったと翌朝話している人の声を聞いた。 ◎歩行時間比較(A(1995年8月)はテント山行、B(今回)は小屋泊り) A 白根御池4:47--7:24北岳7:33--8:21北岳山荘8:34--10:45間ノ岳 5時間36分 B 白根御池5:15--8:40北岳8:55--10:14北岳山荘10:45--12:22間ノ岳 6時間21分 3日目 前日と同じく朝5時15分に小屋を出発してまずはトラバース道から八本歯のコルを目指す。お天気の方も前日と同じで展望の無い中、前後に人影もなく木の桟道をいくつも越えていく。それでも八本歯のコルが近づいた頃に一時的に青空が広がって迫力あるバットレスの姿を眺める事ができた。コルから先は標高差で150m位は木のハシゴが連続する。それを一つずつ慎重に下りて行くと標識があり、その先に大樺沢の広々としたガレ場が広がっている。ここを夏道通しに下っていくのだが、ゆっくりとしたペースでしか歩けないのは足に疲れが来てるからで、きっと腰も引けてただろうと思う。 雪渓はごく小規模なものは見られるがほぼ無いと言って良い状況で、もちろん夏道上にはない。真っ直ぐ下り過ぎたようなので左の小沢を渡って夏道に戻った。視界はあるのでルート取りに不安は感じない。それにしても八本歯コースは登ってくる人も下ってくる人も数組程度と少ない。大樺沢コースが閉鎖されている影響と思われるが、ルートが荒れてしまうのではないかと心配だ。 二俣に着いて短い休憩を取った後、白根御池小屋に向かってほぼトラバースと言ってい良い道を進む。その白根御池小屋の周りには人影が多く平日であっても賑やかだ。ここで少し水を補給してから相変わらずのゆっくりペースで広河原を目指す。今日も登ってくる人、下る人に道を譲り急登部分は特に慎重に足を運んで、山荘から6時間近くかかって広河原に到着した。 新装なった広河原山荘へ直行してシャワーの後着替えてさっぱりとし、計画書通り12時発のバスに乗り込んだのだが、バスが市街地に入る直前になって強い雨に見舞われた。山中では大勢の人が行動中の筈なので、この雨には慌てたと思う。一方こちらは濡れることも無い場所にいるわけだから運が良かった。 今回は眺めを堪能出来た訳では無いが、場所によっては晴れる時もあり、何よりカッパの世話になることはなくお天気には恵まれた方だったと思う。体力面については特に下りの弱さが改めて認識できたが、登りについても30年前との比較で歩行スピードがじわりと遅くなっているのが明らかになった。特にトレーニングをしているわけではないので当然の事ではあるが、いつまで3千m級の山を不安なく登り続けられるかが現在の私の関心事である。 ![]() ![]() |
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