【日 程】 令和7年8月31日〜9月2日 【山名・標高】飯豊山2,105.0m、大日岳2,128m 【天 候】 1日目晴れ、2日目晴れ時々曇り、3日目曇後晴れ 【メンバー】 ふく 40年前の夏、地元・山都町主催の「飯豊の集い」という登山ツアーで初めて飯豊山に登った。川入から入山し、切合小屋、梅花皮小屋、梶川尾根から飯豊山荘と辿る三泊四日の行程。その時の強烈な記憶は「暑い」という一言に尽きる。そして最高峰の大日岳には登れなかった。今回の再訪は、その頂を目標に据えての山行だ。 1日目 入山口は40年前と同じ川入の御沢から。日程を1日ずらしたおかげで雨は避けられたが、湿気は異様に高い。歩き始めてすぐに汗が噴き出し、あの時の猛暑がまざまざと蘇る。急登の道はえぐれた箇所も多く歩きやすくはないが、昔から信仰登山の目安にされてきた休憩ポイントが等間隔に現れる。そこを目標にしながら一歩一歩進む。 横峰を過ぎると傾斜が緩み、地蔵山分岐の手前でようやく水場。すでに1.5リットルを飲み干していたので生き返る心地だ。ここは多くの登山者にとって命綱のような場所だろう。最低鞍部からは剣ヶ峰の岩綾へ。標高差200mの急な岩場に足元が覚束ず、情けないへっぴり腰になった場面もある。 三国小屋が近づくと、痩せ尾根に白いロープが垂れているのが見えた。実は水場への道しるべで、間違って下ってしまう人もいるそうだ。正しいルートはそのまま直上。 三国小屋に到着すると、管理人と遭対協の人が「御西小屋の近くで熊が出た」と話していた。明日そちらへ向かう身としては、ありがたくない情報だ。 その後もアップダウンが続き、最後の七森から種蒔山への登りを終えると、視界が開け草原状の道へ。切合小屋の屋根が見えた時、この日一番の感動を覚えた。切合小屋は飯豊で唯一、食事提供のある貴重な小屋。今回はここに2泊する。 2日目 前日の蒸し暑さとは打って変わり、爽快な朝。風を受けながら最初のピークである草履塚へと向かう。草履塚を越え姥権現の祠を過ぎると岩場の御秘所、さらに御前坂を登り切ると飯豊山神社のある本山小屋だ。本山小屋からはわずかな登り返しで百名山の飯豊山に着く。 山頂は快晴。居合わせた登山者に写真を撮ってもらい、眺めを堪能する。しかし飯豊山を後にして下る間に雲が湧き出し始め、目指す大日岳はあっという間にガスに隠れてしまった。 御西岳を経て御西小屋へ。ここから先は未踏のルートだ。大日岳は想像に反してガラ場ではなく、一面の笹と草地が続いていた。山頂では夫婦連れが休んでおり、人の姿にほっとする。だが展望は叶わず、日本海は見えなかった。 戻り道、飯豊山頂は冷たい風が吹き抜けていた。寂しげな山頂を後にし、一ノ王子まで下ったところで前夜同宿の登山者と再会し同行することに。 姥権現を過ぎたところで「熊がいる!」と彼が指差す。草履塚の北東斜面に小熊を連れた母熊。直線で300mほどの距離だったが、これから向かう登山道はその稜線上。彼が大声をあげると、熊は慌てて茂みに逃げ込み、小熊も後を追った。 「人が通りますよー!」と声をかけながら進む彼の姿に、熊の棲み処に入らせてもらっているという謙虚さを感じた。小屋に戻って報告すると、管理人は「ああ、沢の下に巣のあるやつだな」と事も無げ。どうやら顔なじみの熊らしい。思わぬハプニングの一日だった。 3日目 朝は雲がかかっていたが、歩き始めると強い日差しに変わった。一昨日と同じく汗だくの行軍だ。種蒔山の長い登りとアップダウンに早くもバテ気味。 ようやく辿り着いた三国小屋で休むと、管理人さんが「この辺りは朝曇っても大体晴れるんですよ」と笑う。まさにその通りだ。 剣ヶ峰の岩場を慎重に下り、行きに世話になった水場で一息つく。そこからは十五里の休憩ポイントを頼りに下山。 午前11時15分、御沢野営場に到着。標準タイムは大幅に超えたが、無事に戻れた喜びと達成感は格別だ。あとは温泉で締めるだけ。これが下山後の最高のご褒美だ。
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飯豊山 / ふくさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ