山行報告>九州の修験の山に登る、英彦山

2019/12/28

【日 程】令和元年12月28日
【山 名】英彦山
【標 高】1,199.5m
【天 候】晴れ
【メンバー 】福福
【タイム】
 銅鳥居8:32−−−8:51奉幣殿9:05−−−10:16上宮10:19−−−10:21中岳10:28−−−10:31上宮10:31−−−10:38南岳10:39−−−10:50上宮10:51−−−11:46奉幣殿11:46−−−11:57銅鳥居

九州随一の修験の山と言われている英彦山。
コースタイム通りなら半日で行かれると計画したのだが、上部の雪の状況次第では慌ただしい山になりそうだ。

前日、近くに宿をとって当日始発のバスを待ったのだが時刻になっても一向にバスが現れない。たまりかねて宿にSOSを出したところ、宿の車で登山口まで送ってくれたので助かった。バスは休日ダイヤでの運行だったのにそれに気付かなかったのだ。
宿から登山口までは2km弱の距離なのだが、歩いていたら計画の時間には下山できなかったので、宿の人には本当に感謝だ。

登山口の銅鳥居から緩やかな石畳の道が本殿まで続く。道の両脇には宿坊跡が連なり、この雰囲気は伯耆大山に似ている。ただ、大山の方はかつて宿坊のあった跡地なのに対し、こちらは使われてはいないようだが建物が残っているものもあり、見学が出来るようになっているところもあった。

登山口から約20分で本殿である奉幣殿に着くと、お正月を迎える準備がされていたものの、早朝のため境内は閑散としていて人影は少ない。柏手を打って登山の無事を祈ってから右手の石の鳥居を潜って急な階段に取り付く。この石の鳥居から先は「常寂光土」という修行のための聖域だと田中陽希さんの百名山シリーズで知った。ちなみに銅鳥居からここまでは「方便浄土」(仮の浄土、行者界)と言うのだとも。

急な石段を終えると山中に分け入る雰囲気になってきて、道も整備された参道では無く登山道ぽくなる。冷え込みのため岩の割れ目につららが下がっていたが、まだ雪は現れない。途中の中宮は先を急ぐため柏手を打つことも無く素通りした。

田中陽希さんさんが百名山を目指している時に、居合わせた登山者から「陽希さんもやっつけでしょ」と言われて憮然とした表情だったのを思い出す。やっつけ=登った山の数を増やすことだけが目的化して、頂上へ達すればそれで良しという山登りの意だが、自分自身の山登りを顧みて、せわしなく頂上を往復するだけのこれもそうなのではないかと忸知たる思いだ。ただ急いでいる。

建物の屋根が見えてくるとそこが産霊神社で、すぐ脇には小屋掛した井戸があり、木の鳥居をくぐれば真に行を積んだ人しか入れないという「 常寂光土」に入る。この辺りから降った雪が凍って歩くのに注意がいるようになる。それでも木の鳥居から10分強で上宮に着いたので、社の扉を開けてお参りしてから、裏手の中岳に向かい、英彦山山頂の立派な標柱の所で居合わせた人に写真を撮ってもらった。上宮に戻り、ここから私だけ英彦山最高峰の南岳を往復することにする。

南岳はすぐ近くにあるので行かない手はないだろうということだが、やっつけ感は否めない。上宮から一旦下って登り返すが10分足らずで南岳山頂に着き、誰もいない山頂で写真だけ撮って直ぐに引き返した。

上宮からの下りはバスに間に合わせるため気持が焦ったが、木の鳥居までは滑りやすいので慎重に下った。これはもう間に合わないのではないかとか、タクシーを頼まざるを得ないとか思いつつ下ったが、何とか間に合って一日に何本かしか出ないバスに乗ることが出来た。

これで計画どおり英彦山に登ったわけだが、ずっと以前に今はもう亡くなった山の友人が「英彦山に登ってきましたよ」と嬉しそうに話しかけてきたことがあった。その頃は英彦山は行楽目的の山で登山の対象とは考えて無かったので、「そうですか」と素っ気ない返事をしただけで会話はそれで途切れてしまった。今となっては手遅れな事だが、もっと真剣に話しを聞いてあげれば良かったと思う。今回のやっつけ感と共に英彦山には悔いが残った。

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地図上で登山ルートを赤色の実線で表示しています。歩いたコースが往復で異なる場合や行動が複数日に渡る場合は、色を変えている場合があ ります(例:登りを赤色、下りを紫色。一日目を赤色、二日目を紫色)